俳句と私

―――17文字に「今」を詠みこむ

 

                        (「山形新聞」1998年9月24日夕刊掲載)

 

父の勤務の関係で、小国町(山形県)に生まれ、小学校二年の春までを小国で過ごした。もうずいぶん前のことで記憶も断片的であるが、モノクロ−ムで撮られた写真によって、当時の記憶を呼び覚ますことができる。

小国は県内でも雪の多いところだったように思う。霙がいつしか雪となり、やがて雪に包まれる。冬が長いぶん夏は殊更いとおしく、ムラサキアゲハを追って遠い道のりを走った幼い日を懐かしく思う。小国は四季おりおりの山の幸が豊かで、紅葉も、桜並木もそれは美しかった。

 

クロイツェル・ソナタ折り鶴凍る夜

無伴奏組曲夜の枇杷太る

雛の夜管楽器みな闇を持ち

 

一九九三年、音楽をテーマにした「管楽器の闇」で私は第十一回現代俳句協会新人賞を受賞した。勧められるままに俳句を始め、七年の年月が過ぎていた。

ときどき私は、俳句に出合ったのは偶然だったのか、あるいは必然だったのかと考えることがある。小国町から転居した埼玉県春日部市は加藤楸邨のゆかりの地であった。

 

寒雷びりりびりりと真夜の玻璃 楸邨

 

加藤楸邨の第一句集『寒雷』には「古利根抄」という章があるが、私はこの古利根を眼下に見おろす中学校で、楸邨俳句を習いながら、

「楸邨はね、この古利根の川辺を秋櫻子と一緒によく散歩していたんだよ―」

と話してくれた国語の先生の言葉を、まるで天啓のごとく思い出すのである。

私は小国時代より続けたピアノを大学まで続け、そのいっぽうで学生オーケストラにも所属し、もっぱらピアノや弦楽器の練習に追われていた。そして、卒業後、編集という仕事をとおして俳句と出合った。

                      

 初めて参加した句会は当時「寒雷」の若手が中心となっていた「Mumon」(現・炎環)の句会であった。

 そのとき出合った句―

 のら犬を匿ふ縁の下朧 今井聖

 

 俳句は美しいものを詠むもの、と思い込んでいた私にとって、「のら犬」という素材を句に詠みこむこと、そしてその句にどんどん点が集まっていく光景に、まさにカルチャー・ショックともいうべき強い衝撃を覚えた。

 そのときの驚きが今の私の俳句に大きく影響している。もしもそのとき出合った俳句が別の俳句なら、私の俳句はもっと別のものになっていたように思う。

 

 冬の楽章ヴィオラから歩き出す

 指が寒がりぬ開演前の月

 ピアノ弾くからだの中の白夜かな

 

 作句を始めたときから、私の句には音楽にまつわるものが多かった。ときには句のなかに音楽用語が入ることもあったが、片仮名さえ忌避される結社もあるなかで、自由に句をつくることを認めてくれた石寒太主宰に感謝している。

 

青信号連続すひとつは蜃気楼

ニューヨークタイムズ甜瓜つつむ

長き長きエスカレーター百合抱いて

雪嶺の光をもらふ指輪かな

好きな人ふたりゐて冬あたたかし

 

 私にとっての俳句は、そのスパークした火花の把握にあるというのが基本理念である。私は十七文字のなかに変わりゆく現代を詠みこんでいけたらと思う。そしてそれは私たちが生きているほんのささやかな発見から生まれて消えていけばいい。新しい俳句を目指してゆくこと、それは奇を衒うことではなく、「今・この瞬間」を詠んでいくことだと思う。過去も未来も「今」の連続であり、私たちには「今・この時」しか存在しないのだから。

 斬新な素材をおそれず句に取り込む努力をすること、「遠いものの連結」を目指すことによって、イメージを自由に大きく飛躍させ、句の世界を広げていきたいと思っている。

 

アリスのごと鬼灯市に紛れたり 聡子

 

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