父というもの
(信濃毎日新聞2002年6月6日朝刊掲載)
六月の第三日曜日は父の日である。私にも父がおり、その父にもまた、今年九十七歳になる父が、離れた土地で暮らしている。そのはるかなる父と息子を思うとき、私の中をあるエッセイの一節が駆け抜ける。それは井上靖のエッセイで「父の死」について書かれていた。
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「…父が亡くなってから、私は初めて自分の死というものを考えた。父が生きている時は、父親でさえまだ生きているのだからといった気持で、自分の死など考えることはできなかった。ところが父親に亡くなられてみると、初めて遠くの方に死の海面が見えて来た。もう父親も亡くなってしまった。次は自分の番だといった、そんな思い方で、遠くの方に死というものが、青い海面のかけらでも見えるように見えて来たのである。
私は父に亡くなられて初めて、自分が父親によって、死というものを考えることから守られていたことを知ったのである。死と私の間に、父親という屏風があって、私に死というものを見させないでいてくれたのである…。
(『わが一期一会』毎日新聞社より)
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さて、今日は「父の日」にちなんで「父の句」をご紹介したい。
逝くために父となりしか栗の花 柚木紀子
印象鮮明な句である。作者の父は先の大戦で、大空襲の中、火の海に呑まれたという。
父病めば空に薄氷あるごとし 大木あまり
つややかな管つけ父は朧なり 櫂未知子
病にある父を詠んだ句。
錦木の仙骨となり父を愛す 寺井谷子
父恋し濤に歌留多のちらばりて 八田木枯
「父恋」をストレートに詠んだ句も多い。
父がつけしわが名立子や月を仰ぐ星野立子
立子の父は高浜虚子であった。十七文字の中に、父へのさまざま思いがこもる。
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