ミレニアム・雛紀行
―――華やかさと歴史の重みを俳句に
(「山形新聞」2000年4月13日夕刊掲載)
お雛さまに対する思いはことのほか深い。私は六歳までを小国町(山形県)で過ごしているが、その雪深い小国での初節供のおりに祖父母より贈られたお雛さまを、いちども欠かすことなく現在も飾りつづけている。
雛の膳あをき春告鳥(にしん)は子を持ちて(谷地) 黒田杏子
山形のお雛さまをいつか見たい――そう思ったのはいつの頃だろうか。『黒田杏子歳時記』に書いてある、谷地のお雛さまについての記述を読んでからというもの、ますますその思いは強まった。
しかし、ひと口に山形のお雛さまといっても、酒田、鶴岡、天童、寒河江…と各地に点在しており、まず、どのお雛さまを見たらよいかわからない。いろいろと調べた結果、庄内観光主催の「ひな街道」のツアーに参加、翌日は谷地のお雛さまをひとりで巡るという、私だけの「ミレニアム・雛まつりツアー」を計画した。
「ひな街道」は酒田・鶴岡の名家や博物館のお雛さまを一泊二日で巡るツアーである。本間美術館、本間家旧本邸、相馬樓、庄内神社宝物殿、致道博物館、松ヶ岡開墾記念館…。遠方から参加した私にとっては、見たいお雛さまを一泊二日で効率よく回ることのできるこの企画は、たいへん魅力的であった。
三月三十一日、「ひな街道」ツアーは本間美術館から始まる。本間美術館では、「ひなまつり古典人形展」が開かれている。江戸期の享保雛や有職(ゆうそく)雛、次郎左衛門雛、古今雛たちが、三百年もの時間と空間とを超えて存在し、私を幽玄の世界へと誘ってくれる。
海鳴りや袖ゆたかなる享保雛 聡子
続いては相馬樓。廊下には緋毛氈(ひもうせん)が敷きつめられており、いかにも雛まつりらしい華やかな雰囲気である。大広間には、これも江戸期から伝わる雛人形が飾られていて、大きな雛壇は鴨居(かもい)に届かんばかりである。
ふと足元を見ると、畳の一部がほんのりオレンジ色に染まっている。畳をなんと紅花で染めたのだそうだ。また、雛壇の下のほうには見たこともないようなお雛さまがある。例えば刀鍛冶屋(かたなかじや)のお雛さま、あるいは節分の鬼のお雛さま…。雛蔵には芥子(けし)雛という高さが十センチほどの小さなお雛さまが飾ってある。芥子雛は、華美をいましめる江戸幕府の禁止令によって考えられたもので、芥子の実ほどの小さな、の意味。三寸(十センチ)以下のお雛さまをいうのだそうだ。
雛の間の紅花染の畳かな 聡子
本間家旧本邸のお雛さまは、源氏絵巻の金屏風で飾られている。雛壇には、内裏雛と並んで百歳の翁(おきな)と嫗(おうな)の相生雛がかすかな微笑みをたたえている。かつて回船業で栄えた旧家の歴史の重みが感じられる。
「ひな街道」一日目の最後はニシン王・旧青山本邸へ。邸宅の柱が春慶塗りという青山本邸は、欄間の透かし模様も美しく、春の日差しが畳に揺れている。離れには、当時漁で使われた漁具が展示されている。雅(みやび)な雛遊びのかげに漁民たちの汗や涙があることを知り、感慨深いものがあった。ここで、私たち一行は雛菓子と甘酒を振る舞われる。
旅人となりゐて桃の酒貰ふ 聡子
翌日は、鶴岡。鶴岡には、城下町ならではのお雛さまがあった。大名家の姫君が輿(こし)入れの際に持参した家紋入りの精巧な雛道具。また、それとは全く対照的な松ヶ岡開墾記念館の土雛の素朴さが印象的だった。
私の雛紀行、最後の日は河北町谷地の雛まつりである。谷地は、毎年四月二、三日に雛市が立つ。旧家のお雛さまが公開され、雛菓子やあられが振る舞われる。
午前十一時からは、近くの秋葉神社で雛供養が行われる。これは、故あって飾ることのできなくなったお雛さまを労(ねぎら)い、その魂を天へと導くお祭りであるが、お雛さまに点火される瞬間、胸が締めつけられるような思いがしたのは、私だけではないだろう。
谷地の雛まつりの特徴は、ただお雛さまを展示するのではなく、人を招き入れる「もてなす心」であるという。昔から谷地には「お雛見」という習慣があって、子どもたちは家々をめぐって雛菓子をもらい歩いたそうだ。
二泊三日の雛紀行は、私にとって、忘れることのできない旅となった。山形を離れ三十年以上の月日が経ち、また故郷とつながりゆく不思議――これを縁(えにし)というのだろうか。
雛壇に飾る干菓子の水のいろ 聡子 (了)
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